師匠を偲んで
「わしをタンゴウォークだけで泣かせてみい!」
まだ私がプロ駆け出しの頃、ある夜、スタジオで練習をしていると、ちょっとほろ酔い加減の久保寛幸先生がスタジオに戻ってこられ、私の踊るタンゴを見て一喝!「あのな、人はタンゴウォークだけで泣けるんじゃ。なんやお前のは? お前はトコロテンか、ふにゃふにゃ踊るんじゃないわ!」
あれから30数年の年月が経ち、先日(3月28日)、ビギンダンス教室のオーナー、久保寛幸先生が他界されました。享年93歳でした。自分がダンスにのめり込み、プロとしてのダンス人生を歩み始める時に、久保先生の存在はダンス人生における「父親」のような存在だったことを改めて思い入るところです。
私に基礎を叩き込んでくださった故久保文子先生は今年で9回忌を迎えられますが、ご夫妻は普段の勤務の時も、競技会の時も、慰安旅行の時も、忘年会の時も、新年会でお宅にお邪魔した時も、いつも厳しく、そして優しく見守ってくれた恩師です。大学入学後にダンスを始め、その年の秋の関西学連の学年別新人戦で6位に入賞したものの、なんの向上心もないまま続けていたところ、2年生になる年の年明けからビギンダンス教室に行くよう先輩に言われ渋々通い始めることに。久保先生ご夫妻がどのような方か、ビギンなる教室がどんなところか、全くわからないままレッスンが始まったのです。
ただ先輩に連れて行かれたような状態ですから、理解しようとする努力もしない、とんでもないレッスン生でした。指導も相当難しかったのではないでしょうか。こんな向上心もないような奴、私なら怒り飛ばして「帰れ〜!」などとシャウトするのではないかと、今にして思えば大変に失礼な生徒だったと猛省しております。そんな中でのビギンでのレッスンは、立つこと、緩めること、振ること、歩くこと、スウィングすること、リードすること、そしてもう一息向こうに行くことなどなど、少しずつ学んでいくのですが、これらのことは明日の競技会に1つでも上に上がれるような即効性のあるレッスンではありません。たとえ明日のコンペがラテンであっても、レッスン内容はボールルームのウォークばかり。そんなことで学生の競技会でも勝てるわけがありません。
自分は全く素質のないレベルだから教わるのがウォークだけなのだと、完全に失望して2年生の終わりにはダンスを辞めるつもりで、クラブ存続のためだけにレッスンを続けていたと告白しなければなりません。レッスンでは立っている足を使っていないとか、ボディがこないとか、押してるとかの連続で、怒り心頭でスタジオを飛び出し一人で心斎橋の商店街を2時間も鬼気迫る形相で歩き続けたこともありました。しかし、レッスンを続けて行くうちに、通い始めて半年頃からでしょうか、先生の言わんとすることがおぼろげにでも理解できるようになってきました。2年生の秋シーズンに入ると、西日本選手権のオープン戦で一気にセミファイナル、その年の最終戦、4年生のフィナーレでもある秋季関西戦のオープンで準優勝するまでになったのです。
3年生の夏前の全関西戦で初優勝を遂げたところで学連でのチャレンジを終え、4年生からはアマチュア競技に的を絞り、その年のC級、B級でも優勝を続け、西部のオープン戦でファイナル入り。初挑戦の日本インターではファイナルへ1マーク差での第7位という成績を残し、翌年は2階級特進でA級へとランクアップしました。
ビギンダンス教室への就職活動
こうなると、就職の選択肢に俄然ターンプロの話が現実味を帯びて来ます。「ダンスで行く」と決めた後は、実父の説得が私の就職活動となりました。なかなかプロ転向を認めてくれない父でしたが、その最後の最後に、両親は久保先生ご夫妻と会って話をしたいということになり、当事者の私はびくびくしながらも心斎橋の鉄板焼屋で会食の場を持つことになったのです。
しかし、蓋を開けてみれば何のことはない、父と久保先生、おぶん(文子)先生はすぐに意気投合。父などは喜んでビギン教室に移動して、何とおぶん先生と、昔踊ったことがあると言って、昔スタイルのタンゴを踊り始める始末。「あんたよりお父さんの方がウォークが上手よ」などとまで言われ、私の就職活動はその日を持って終了。私の両親は、久保先生に全幅の信頼を持って、私のビギンでのダンス人生の始まりを応援してくれたのです。
プロになっても私の生意気な性格は変わりませんでしたが、それでも久保先生ご夫妻はニコニコしながら、でも時にはブチギレながら、私のプロとしてのダンスの成長を見守ってくださいました。
「わしをタンゴウォークだけで泣かしてみい!」「文句あったら言うてみい!ってつもりで踊れ!」と言う父親としての久保先生の言葉。「見て見て見て〜!ってハッピーに踊ったらええねん〜」とか「今はそれでえーねん。1年後に結果が出ればええやんか〜」って焦らすことなくじっくり仕込んでくれたおぶん先生。競技会の前では馬鹿丁寧なレッスンとは別に、「負けたら腹たつやろ〜、頑張りや~~」と熱い気持ちを駆り立てるような言葉もいっぱい残してくださいました。
師匠の故久保寛幸先生、文子先生。ビギンでの教えの数々。競技会場に響き渡るほどの大きな声援、チャンピオンになるための基礎を叩き込んでくれた先生と過ごしたあの日々に感謝し、両先生のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。本当にありがとうございました。