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田中英和先生のワールドダンス

コラム&本誌企画

日本武道館〜飛天、そしてウィンターガーデン

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高校球児にとっての夢の舞台が甲子園なら、ダンス競技選手としての私の夢の舞台は日本武道館でした。大学に入学し舞踏研究会でダンスを始めたその年(1980年)の夏に、「第1回日本インターナショナルダンス選手権大会」の模様がNHKで放映されました。先輩の家に呼んで頂き、テレビを食い入るように観たものです。毛塚先生、鳥居先生ら当時のチャンピオンやトップクラスが生き生きと踊るシーンは、今でも脳裏に焼きついています。

私が初めて武道館で踊ったのはアマチュアC級の時。1983年、第4回日本インターナショナル選手権のアマチュアモダンに、西部の出場枠15組中15番目の選手として出場し、なんとセミファイナルに入賞。ファイナルまで1マーク足らずという成績を残したことが、全国区へのチャレンジの始まりなのです。それからというもの、日本武道館はダンスでの成功を夢見て、その夢を追い求め続けた場所なのです。

日本インターでの初ファイナルはプロ転向後の1989年、第10回大会。直前の全英ライジングで初ファイナル5位の成績を取った直後の大会、そしてその4年後、1993年の第14回大会で初優勝を遂げたのです。さらにその4年後にはアデールとカップルを組んで全英3位を獲得し、凱旋帰国となった第18回大会で4度目の優勝を飾ることができました。

その翌年の第19回大会では引退デモを踊らせて頂き、引退後は審査委員長としてジャッジする名誉にも恵まれました。私にとって、ダンスに打ち込んだ人生の背景にある日本武道館は、切っても切り離せないものなのです。

しかし、昨年の同大会は、主催するJBDFの将来への展望を含めた路線変更により大混乱が起き、非常に残念な大会となったのも記憶に新しいところですが、今年で37回目を迎える「2016年日本インターナショナル選手権」はどのような形で運営されるのでしょうか? 開催は困難であると危惧する向きもあり、まだまだ混沌とした状況に変わりありません。が、本当に近い将来、また再び海外から一流ジャッジを招聘し、一流の海外選手を交えて日本のチャンピオン以下トップクラスが一堂に会し、技を競う最高の競技舞台として復活して欲しいと願うのは私だけではないでしょう。

ただ今年は、JBDFからWDCの審査員登録や選手登録を取りまとめる組織として立ち上げたJBDC(Japan Ballroom Dance Council ;桜本和夫会長)が6月19日(日)、WDC公認競技会の「ジャパンダンスグランプリ」を開催することが決定しています。会場はホテルイースト21東京で、残念ながら武道館ではありませんが、海外からWDCの一流ジャッジを招き、世界のトップクラスのダンサーも出場します。この秋のバルカーカップ統一全日本ダンス選手権のJBDC出場枠の選抜という意味もあり、日本におけるランキングにも繋がる意味ある大会として開催されます。武道館で行なわれてきた日本インターの代わりとまでは行かないまでも、それに準ずる大会として注目度は高いと言えそうです。※詳しくはJBDCのサイトを参照してください。

世界を取り巻くダンス事情は以前とは違い、WDCとWDSFの二極化が進み、お互いに相容れない世界になっています。が、日本は他の国とは事情が違い、プロの組織もアマチュアの組織も国が認める公益法人や一般社団法人など立派に活動できるほど組織がしっかりしています。国内では地域の事情や人間関係の温度差などもあるでしょうが、組織同士の友好的な関係を築くことは今のダンス界の底上げ、新たな環境整備に繋がると皆共通の認識を持っているはず。それぞれの国際部門ではそれぞれのライセンスで活動するという住み分けは仕方ないのですから、国内での競技会開催、地域での競技会に関してはプロ同士もアマ組織とも積極的な繋がりを持って深めていく必要があるのではないでしょうか。

さて、話は変わって。

かつてのJNCPD主催「統一全日本選手権」が舞浜のホテルから新高輪の飛天の間に移り、昨年からはNDCJ主催「バルカーカップ」として開催されるようになったこともあり、私にしても飛天に足を運ぶ回数が増えています。今年3月末には東部連盟の「ジャパンプレミアカップ」にジャッジとして参加し、4月10日には織田慶治・渡辺理子カップルの引退披露晩餐会にも出席させて頂きました。

会場の豪華さ、華やかさは、ライティングも音響もスポーツ施設や体育館のものとは違う素晴らしい雰囲気を醸し出しますから、ゴージャスな雰囲気の中で競う、そして観戦するのは舞踏会に参加しているかのような錯覚さえ覚えるのです。武道館の時代を知らない若いダンサーにとっての夢舞台は「飛天!」と答える人もいるのではないでしょうか。

成功を夢見るダンサーにとって、その聖地が武道館であろうと飛天であろうと、それが問題であると言っているのではありません。夢を抱いて懸命にダンスに取り組む姿勢の背景に「武道館で踊れる」「飛天で踊れる」、はたまた「ブラックプールのウィンターガーデンで踊れる!」ことの嬉しさや怖さなど、それらを想定した緊張感のある練習を繰り返すことが最も重要で、それが「成功への秘訣」と私は信じているのです。

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プロフィール

  • 田中 英和

    生年月日:8月9日
    出身:広島県広島市出身
    経歴:1997年2月にアデール・プレストン選手とカップルを組み、5月の全英選手権で日本選手初の第3位表彰台に輝く。「ヒデ&アデール」の愛称で国内外の大会で活躍し、翌98年の全英選手権5位入賞を最後に現役を引退。以降、審査員、コーチャーとして後進の育成にあたっている。また、本誌でも、7年にわたって連載レッスン「ナチュラル・ダンシング」シリーズを執筆し、大好評を博した。
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