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田中英和先生のワールドダンス

コラム&本誌企画

競技ダンス

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競技ダンス――。それは、それぞれが自身の持てる技を存分に発揮し、その技の優劣で勝負が決まるもの。今のカップルは、一体どんな技を持って勝負に挑んでいるのでしょうか? 一概に技と言っても、その種類はカップルの数だけあるのかもしれません。音楽を使う技、時間や空間を使う技、ボディスピードの緩急の技、フロアを使う技、身体能力でパワーを増幅できる技、パートナーのバランスやウエイトを使う技、カップルの総合力で勝負する技など、個人、そしてカップルそれぞれに得意とする技があるはず。その技を磨き、自信を持って勝負に挑んで行くのは、この道に生きるものなら当たり前のことです。しかし、現状、世界にチャレンジするほとんどの日本人ダンサーに、そのような明らかに勝負できる技を持って挑んでいる姿勢が見られないことを告白しなければなりません。

今年のUKダンス選手権も、日本人ダンサーの飛躍的な活躍を見ることはできませんでした。要するに世界が評価するレベルの技を持ち備えていないのです。多くの選手がまず、踊れる身体を持っていない。近年レベルの高い選手を多く輩出しているロシアや中国、ウクライナの選手たちは、強靭な身体を作るトレーニングを欠かさず、英国に入る前に身体作りを終え、勝負のためのスタミナトレーニングも完了してやって来るのです。年末までのパーティシーズンで疲労困憊し、年明けにようやく渡英し調整を始める日本人ダンサーが、そんな準備万端な外国人選手に勝てるわけがありません。

しかもさらに深刻な問題は、今の若い選手の多くは、そもそもダンスの理論がわかっていません。LODを含めたアライメントの理解、ステップの理解や外回りや内回りなどの理屈、スウィングなど身体にある自由の実践などなど、ダンサーとしてフロアに立つこと、フロアを使いこなすために時間を費やし、努力しているようには見えないのです。

野球のピッチャーであれば、直球で強打者から三振を取るために走り込み、投げ込みをするでしょう。テニスでも卓球でもラリーに打ち勝つトレーニングを積むのは当然のこと。ダンスの選手は自身のレベルを上げる努力をなぜしないのでしょう。ウォークに時間をかけ、入れ替わりのための通過やCBM、スウェイのタイミングを極め、それをフルパワーで踊るスウィングに転じる練習をし、カップルで吹っ飛んで行けるダンスを構築すれば良いだけのこと。なぜそこに時間と労力をかけないのでしょう。

 

苦労がかけがえのない喜びになったとき、成功が自分の元にやってくる

しかし、踊れる身体を作っていく中で、私もかつて英国人コーチャーにこんなことを言われたことがあります。「どいつもこいつも判で押したような同じダンスをする。お前は今、日本人の中では少しマシなダンスをしているが、本当に何が大事か理解してそれを身に付けないと、すぐに落とされるぞ」と。「すべてのスウィングダンスのフィガーはヴェニーズワルツからの派生だ。LODを使って踊るヴェニーズワルツをもっと理解し練習しろ」とも。タンゴに至っては「君はどうして片足に立って踊るのだ? タンゴは両足を使って踊るものだ。音楽は君にそんなことをしろとは言ってない」。「見えない帽子に頭を突っ込め」とか「天使にキスをしろ」「暗記するな、理解しろ。理解したら理論にこだわるな」などなど、教わるのではなく、自分の中にある宝物を探し出す作業の繰り返しだったように思います。

冬のパーティを終えたら即刻クリスマスの前に渡英し、クリスマスで浮かれている外国人選手の隙を狙ってトレーニングを始め、年末年始返上で年明け最初のスターボールに照準を合わせ練習の毎日。「そこでファイナルに食い込むことができればUK選手権での成功も夢ではない」。そんな思いで必死の形相で練習に取り組んでいたものです。

そうは言っても現実は厳しいものでした。1989年1月、UK選手権。夜の部に進むどころか、最悪の2次予選落ち。ホールドが全く決まらずカップルとしてまともに踊れる状況ではないほど不調でした。英国出国の前日、ロンドンでの最後のジャネット・グリーブ先生のレッスンで、ホールドのアドバイスに一筋の光明を見出し、帰国後もそのアドバイスにすがる思いで練習。国内のコンペでも浮き沈みを繰り返し、これといった実績を残すことなくブラックプールへ。今年もまたダメかと諦めていた矢先、神が降りてきたかの如く大会前日に突然調子が上向き、全英ライジングで初ファイナル第5位に入賞したのです。どん底からの大逆転でした。その年の日本インターでも初ファイナル第4位に入り、チャンピオンへの階段を駆け上がっていくきっかけとなったのです。あの苦しかった半年間、あの苦しみがあったからこそ今がある、そう言っても過言ではないのです。

「好きで始めたダンス。その苦労は苦労ではなくかけがえのない喜びになる」。そう感じられるようになったとき、成功というものが自分の元にやってくるのではないでしょうか。

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プロフィール

  • 田中 英和

    生年月日:8月9日
    出身:広島県広島市出身
    経歴:1997年2月にアデール・プレストン選手とカップルを組み、5月の全英選手権で日本選手初の第3位表彰台に輝く。「ヒデ&アデール」の愛称で国内外の大会で活躍し、翌98年の全英選手権5位入賞を最後に現役を引退。以降、審査員、コーチャーとして後進の育成にあたっている。また、本誌でも、7年にわたって連載レッスン「ナチュラル・ダンシング」シリーズを執筆し、大好評を博した。
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