私たちが求める本物へのアプローチ
フットワークの理解が深まって行く過程は、練習を積めば積むほど新たな発見があり、ワクワクすることの連続です。ボディにリズムと推進力が生まれ、その能力は男性で言えばパートナーをボディでホールドできるほどのレベルにまで上がって行く絶好の機会になり、女性はそのサポートを得て、美しいラインを持ちつつ躍動感を持ってフォローができるチャンスなのです。男性らしい存在感のあるスタイル、そして女性らしい美しくエレガントでしなやかなリアクション。これは、まさにある意味、このダンスの「理想の形」と言えるのではないでしょうか。
そもそも躍動感とは、表面に見えない身体の中にある強靭なしなやかさからくるものであり、表面的に手足をバタバタと動かすことを言うのではありません。肘を横に張り出しただけのスタイルで、大きく動くだけのダンスは、我々の追い求めている「生き生き」とした「品のある躍動感」とは程遠いものと言わざるを得ません。
上品で、且つ躍動感あふれるダンスへのアプローチを考えるとき、フットワークの理解はその第1歩として大変重要なことです。そしてそれによって魅力あるボディを作り上げていくには、「力みのない姿勢の良さ」を持っていることが絶対条件となります。
姿勢の良さにより、フットプレッシャーのエネルギーが脚部を通じて骨盤の高さを維持することを容易にし、インナーマッスルの骨盤底筋群に刺激が加わっていく道筋ができるのです。
要するに、良い姿勢を求めるとき、「お腹を引っ込めて、首を伸ばしながら肩を下ろす」という昔からの言い方は、まさに本質を突いた言い方であり、男女ともに、ダンス上達のための普遍的な正論と言えるのです。
男性の自然な右スパイラルのエネルギーが女性の躍動感を生み出す!
次に、カップルとしての躍動感を高める考え方に着目してみましょう。男女が向き合って踊るときに、お互いの立つ位置が身体半分ほど右にずれていることがこのダンスの基本。この立つ位置の関係により、お互いの右ボディ同士が向き合っていることになります。しかし、この位置関係は右ボディだけのコンタクトを強調する恐れがあり、お互い左方向への「ねじれ」の原因になることもよくあります。そこでバランス良く合理的に向き合って踊るための考え方として、パートナーのいる右方向にほんの少し身体の中心を向けるという発想が生まれ、これを「スパイラル」という右回りに巻き上がった螺旋状のエネルギーを生み出す大事な「工夫」となるのです。
男性の自然な右スパイラルのエネルギーを生み出す基本は、左足を「横少し前」にステップする習慣を持つことです。この足の位置関係やこの位置でのフットワークが、身体の自然な右周りのスパイラルを生むのです。この右回りのスパイラルのエネルギーは、女性を男性の右アームに踊って行くように誘導するエネルギーとなり、女性を美しくホールドするための基礎的な考え方となるのです。
このボディでホールドされた女性は、男性の右手、右アームに向かうストレッチの方向性を感じることになります。この方向性が女性のボディシェイプを作っていくことになり、女性のダンスの躍動感に即、繋がっていくのです。要するに、「女性の躍動感とはズバリ背中の運動にある」と言っても過言ではないのです。
男性の右手は女性をホールドする際、女性の左肩甲骨のやや下あたりに置くように、と言われています。男性のこの右手は回転時の遠心力をうまく吸収する大事な仕事と同時に、女性のバランスやシェイプに責任を持ち、女性の男性の右アームに向かって踊って行くストレッチの方向性を示唆することや、ライズをしながらブラッシュの動作やスウィベルでPPに開いて行く動作を誘導するなど、肩甲骨を動かす僧帽筋に刺激を加える役目を担っているのです。
この男性の右回りのスパイラルエネルギーは、女性がフォローをしつつも主体性を持って躍動感のあるダンスに展開していくために不可欠なものと言えるのです。
私たちが追い求めるのは「エレガントで躍動感のあるダンス」であり、それは今も昔も、そしてこれからもなんら変わることはありません。表面の筋肉は柔らかいまま、且つインナーマッスルが強靭でしなやかに反応することは、より男性らしく、より女性らしくエレガントで伸びやかに踊るための必須条件と言えるのです。
「競技」――。皆さんは今、競技会でどんな技を磨き、そして競っていらっしゃいますか? よりスポーツ性が求められている昨今、より速く強く、よりエネルギッシュに踊ることが要求されていることは明らかです。が、どんなにスポーツ性が求められようと、私たちが追い求める本当のダンスとは、人間同士のハーモニーのある合理的で無駄のない、そして音楽の流れに乗って、心の琴線に触れるような幻想的な瞬間を持ったスペシャルなダンスなのです。
かつてカリスマと呼ばれた世界のグレートチャンピオンたちのダンスに涙した先輩諸氏がいかに多かったことか。ダンスで人は泣けるのです。私たちはダンスの素晴らしさが何であるのか、今一度再認識し、それに憧れ、それに向かっていく、それを大事に伝えていく必要があるのではないでしょうか。